Sierra High Route
Sierra High Route
その後、この本はある意味で私の一部となった。高校生のときにランニングをはじめて以来、私の手首から離れない20ドルのプラスチック製の腕時計と同じように。ある日そこになかったと思えば、またある日には存在するというように、永遠に。
私は本に17ドルを費やすタイプではない。とくに本棚に置きっ放しになるとわかりきっているガイドブックには。本は所有するものではなく、借りたり、貸したり、シェアしたり、意見を交わしたりして、徹底的に使うものだ。冴えない本の表紙には、『シエラ・ハイルート森林限界線の横断第2版スティーブ・ローパー』と書いてある
Sierra High Route: Traversing Timberline Country, Second Edition, Steve Roper.
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当時、ものごとはうまく行っていなかった。真実を語るなら、長いあいだうまく行っていなかった。私はボーイフレンドと別れた。彼は私を愛してはくれたが、私の欠点のすべてをも愛してはくれなかった。そしてバンを買った。そのときはそれがカッコイイことに思えた。とは言っても、そのバンは「夢の実現」を思わせるようなおしゃれなバンではなかった。とても小さく、見た目も走りも、まるでトースターにタイヤを付けたような代物だった。それから脚の骨を折った。2度も。
本の各セクションには「山岳オプション」と呼ばれる、登るべき頂のリストがあった。私は女性の既知最速記録を男性のものよりも包括的にするべく、新たな基準を定めた。5つのセクションすべてで、フォーティーナー(標高14,000フィート=4,267メートル以上の山)を登り、魚を釣る。つまり、Fastest Fish Fourteener Known Time(FFFKT)である。
彼はある山脈全体をどうやって横断するかという本を1冊書きながら、実際にどこへ行けばよいかという実用的な情報はかぎりなく少ししか提供しない男だ。谷底で川を渡るように教え、それからほとんど人の通らない何キロもの道のりを歩いて次の峠へ到達するために、こんなことを言う。「東へ向かって進め。最終的には崖の赤っぽい地層を目指して」しかし役立たずの情報に関してはもっと協力的となる。たとえば雄ジカの話のように。あるいはお気に入りの木、アメリカシロゴヨウの話となると、丸1ページを費やして説明してくれる。
私には現実の友だちもいる。そのひとりがモーで、私は彼女の本棚にもローパーの本があることを知っていた。この15年間シエラの東側にあるマンモス・レイクスで暮らしてきたが、夏の終わりにミシガンに引っ越してジャーナリズムを教える仕事に就くことになっていた。それで夏のはじめの1週間、地元の山で有終の美を飾るべくハイルートの最初のセクションを一緒に偵察しようと誘うと、モーは喜んで話に乗ってきた。
「だけど『ファストパッキング』という用語だけは禁句だからね」というのが、彼女の唯一の条件だった。「そもそもそれって、いったいどういう意味なのよ?」
モーもやはりランナーで、ほんの数か月前、私が脚から金属を取り除いたちょうどその日にボストン・マラソンを55位で完走していた。モーは決してのろまではない。それでも、私の質問にはまったく根拠がないわけではなかった。
モーはハーバード大学で修士号を取得していたが、シエラのレッズ・メドウにあるジョン・ミューア・トレイル唯一のレストランで何年もウェイトレスをしてきた。トレイルのセクションをどれだけ速く歩き終えたかを自慢するバックパッカーたちにハンバーガーを出しつづけてきたモーは、ついにエプロンを取ってみずからそれを歩くときは、絶対そういうバックパッカーにはならないと決めていた。むしろその反対に、全行程をどれだけゆっくり進めるかに挑戦したのだ。
山々は大地をまっしぐらに目指すかと思うと、天空に手を伸ばす。エンデュランスとは、決して消耗の一途をたどるものではない。エンデュランスとは、低迷のあとには必ず高揚が訪れると信じること。エンデュランスとはまた、高揚が一時的なものであるということを悟る知恵でもある